市境にある丘の上で、彼女は静かに眠っている。
10年前の8月30日が、彼女の命日。
みんなと同じように「ふつう」に生きることを願っていた彼女。
誰よりもそう願っていたのに、生きることに苦しんでいた彼女。
いつまでも25歳の彼女。
当時、僕は自分なら彼女のその望みを叶え、
苦しみから解放してあげることができると思い込んでいたが、
彼女を突然失った結果、その思い込みは無残にも砕かれた。
そして、「痛み」が残った。
そのことでずいぶんと自分のことを責めたし、
周りからも自分が責められているような気にもなった。
実際、僕のことを責めていた人もいたのだろうと思う。
みんな、他に「気持ち」のやり場がなかったのだ。
一人で車を運転している時などに、
このまま対向車線に向けてハンドルを切って、
ひと思いに彼女のもとへ旅立ってゆけたらどんなに楽だろう?
と想像してみたこともある。
でも、そんなことはきっと彼女が許してくれなかったろうな。
そんな訳で、僕は、今もこうして無様に生きている。
* * * * *
生き残ってしまった者にとって、
「死」とは自分ではない誰か=他者の「死」にほかならず、
にもかかわらず、それは極めて「個人的な経験」だ。
そのため、近しい人間を突然失った人間は、
自分自身の中に「閉ざされ」ることになる。
その「閉ざされ」から人を救うために、おそらく宗教や
物語といった、人と人とが「記憶」を共有するための装置がある
のだと思うけれど、10年前の僕たちには、喪失の衝撃が大きすぎて、
そうしたものに頼ることすらできなかった。
何故、彼女は亡くなってしまったのか?
あるいは、何故、僕たちは彼女を失うことになったのか?
「答え」は見つからず、ただ「問い」だけが、出口のない頭の中を駆け巡る。
「死者」は何も語ってはくれないから、
僕たちはもがきながら、その「答え」を一人一人で探すしかない。
あの年、実に多くの人たちが、突然、その命を奪われた。
きっとその人たちと同じだけ、いやそれ以上に、深い「痛み」を抱え、
出口の見えない問いの中に「閉ざされ」た人たちがいたことだろう。
その人たちは、今、どうしているだろうか・・・?
* * * * *
僕の場合、「閉ざされ」から救い出してくれたのは、
他でもない彼女の存在だった。
1年が経った夏の終わりの午後、車を走らせ、彼女に会いにいった。
それまでは彼女に「許された」と思えたことはなかったので、
ご家族に教えていただいた彼女のお墓へ向かうのは、正直、気が重かったけれど、
そうしないことには自分が前へと進めないということも分かっていたから。
もっとも、彼女は決して誰かを責めたりするような人ではなかったので、
「許される」とか「許されない」とかいうのもおかしな表現なのだけれど・・・
夏はまだそこにあって、入道雲が遠くの空を覆っていた。
墓地に近づくにつれ、強い雨が降り出し、
僕は彼女が泣いているのだと思った。
車を降りると、入り口に付近の受付以外に人はなく、
雨音と周囲の林から聞こえてくるセミたちの鳴き声に
シャワーのように包み込まれた。
係の人に場所を聞き、墓地の中を縫って彼女のもとに足を進める。
まもなくして、彼女の好きだった淡いピンク色の墓石が目にとまった。
1年前にお骨を拾わせてもらった彼女が、今、ここにいる。
そのことが何だか不思議で、どう受けとめたら良いのか分からなかったが、
彼女はずっと年をとらず、ここで<生きて>いるのだと感じた。
「会いにきたよ」
「遅くなって、ごめんね」
「元気にしていた?」
こういう時、他の人は亡くなった人にどんな言葉をかけるのだろう?
咄嗟に気の利いた言葉が出てこない自分のボキャブラリーの乏しさに情けなくなる。
でも、こうして彼女に話しかけながら、墓石に水をかけたり、
お花を挿したり、葉っぱを拾ったり、線香を線香をあげたりしているうちに、
自然に、生前の彼女のあどけない笑顔が心の中に蘇ってきて、
何だか可笑しな気持ちになってくるのだった。
騒々しい静寂が、僕たちを包む。
「また来るね…」と、その場を後にする。
こうして僕は頑なな現実へと戻り、1日また1日と年をとっていくのだろう。
彼女は、いつも、いつまでも、あの日のまま、柔らかくあるのだろう。
それで良いのだ、たぶん。
* * * * *
彼女は「ふつう」に生きることを、誰よりも望んでいた。
今でも、僕はそう思う。
生きることは「苦しみ」や「痛み」を伴うことかもしれないけれど、
それでも、たぶん、かけがえのない素晴らしいことだから。
だから、「ふつう」の人たちの「ふつう」の暮らしを守るような生き方を、
そのような<道>を、僕は歩みたい。
それが、彼女と交わした、僕の個人的な<約束>。
家路へ向かう途中、車の窓から外を見ると、先ほどまで雨を降らせていた
空の切れ間から日の光が差していて、その上には美しい虹がかかっていた。
(text by 武井 剛)