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ヒトと福祉の本質を巡る私的考察

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特定非営利活動法人1to1

理事長 武井 剛

 私たち人間は、自然や社会、歴史、他者と<かかわり>、自らを取り巻く環境を<変える>ことを通じて生きる存在です。

​ 当たり前と言えば当たり前のことですが、自分と他者とは見た目も中身も「違う」。だから、その「違い」を超えて結びつくために、他者と<かかわる>。ありのままの自然環境は、そこで私たち人間が生存していくにはあまりに「厳しい」。だから、その「厳しさ」を緩和し、そこでうまく生きていくために、環境に手を入れて「より良い」状態に<変える>

 私たちは人間とは、そのような意思を持って、それを行うことが「できる」存在だと私は考えます。

 環境に<適応>した「強い」遺伝子を残すため種を複雑に分化させた他の動植物と異なり、頭蓋骨がまだ融合しない未成熟な状態で生まれ、自分の足で立ちあがるまでに一年を要する「弱い」存在、チンパンジーの腕力もチーターの脚力も持たない私たちは、それゆえに、群れをなして暮らし、自分たちを庇護し成熟を促す共同体(家族・親族➝部族・村落➝社会・国家等)を作り、環境に手を加え(住居、衣服、儀礼品の加工、火起こし道具や調理技術の発明、農業・文明・科学の誕生)、高度なコミュニケーション手段としての「言語」を発達させ、互いに役割分担して「労働」し(狩猟採集や農作業、炊事や育児における協働、分業)、知識や知恵、技術、生活習慣の蓄積としての「文化」を育み、生存環境を自らの手で「より良い」状態へと変え続けることによって、種を繋ぎ、幾世代にも渡りこの地上で繫栄し続けてきました。

 互いの「弱さ」を認め合って<かかわり>、寄り添い、共に生きること。

 自らをとりまく環境を、自分たちの手で「より良い状態に<変えて>ゆくこと。

 「他者」への ケア(care…気にかける・世話する)福祉(well 良く・fare 生きる)の本質も、そこにあります。個体としては限りなく「弱い」存在であるがゆえに、周囲との<かかわり>を通じて、生存環境を「より良い」状態に<変える>こと。過酷な自然環境の中にあっては、淘汰の波に飲まれて、その命の多くが失われてしまう赤子や幼児、老人、そして怪我や病によってショウガイを負った人たちを、同胞・仲間として共同体の中で受け入れ、共に生きること。そのような「文化」や「伝統」を生み出し、未来の同胞・仲間たちへと継承すること。そうしたことのすべてが、私たちの<人間性(humanity)>を担保しているのです。

 私たち1to1は、2008年の設立以来、船橋・習志野のまちの中で、障がいのある人たちと、同じ地域で暮らし、支え合い、共にはたらき、人や社会と<かかわり>、まちの姿を「より良い状態」に<変える>ことを活動の中心に据えて活動を続けてきました。マネーが媒介する高度資本主義経済が地球全体を覆い尽くそうとしている21世紀初頭の、この荒涼とした、非常に退屈で、味気ないこの世界にあって、私たちの仕事は日の当たらないマイナー領域に属するものかもしれませんが、私は、<福祉>とは、人が「生きる」ことの手触りに直に触れることのできる、何ものにも代えがたい驚きと喜びに満ちた、全人生をかけてでも探求するに値する、創造性に富んだ、魅力的でやりがい溢れる仕事だと確信しています。

 

    Standing naked in cosmos, listen to your heatbeat!

 (あるがまま宇宙の中にあれ、そして魂の鼓動に耳傾けよ!)

 人や社会と向き合い、誰もがその人らしく輝くことのできる<場>をつくること。「いきること」「はたらくこと」にともなう<純粋な驚きと喜び>に触れ、仲間と分かち合えるように自らや環境を<変える>こと。そして、《多様性》と《生命力》そして《やさしさ》に満ちた「共生社会の創造と実現に寄与すること。それが、私たちの目指すことです。

 どうぞ、私たち1to1の活動にご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 アカルイミライのために

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