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執筆者の写真Gさん

僕がここにいる理由 その4

更新日:2022年2月6日

男なら命かけて

ボールにくらいつけ

行けよ行けよ●●●

お前の出番だぜ


ええと・・・

これは誰の応援歌だったっけな?


暗黒時代、瀕死の虎の切り込み隊長

狭められた一二塁間を

それでも敢えて狙い

しぶとく破って 仲間とファンを鼓舞する

そんな選手時代の姿には勇気を貰ったものだ


その後のことは・・・知らん!(チュッ♪)


今の時代、こういう歌詞はもうNGなのかしら?

でもね・・・

男には命をかけてでも守る「場所」が、

体を張ってバトンを繋ぐ「仲間」が、必要

僕はそう思っているよ

それを持っていないヤツは・・・たぶん不幸だ



* * * * *



人生とは、いずれは無へと帰る「道」の途中

だから、

たとえある日突然倒れたとしても

後悔しない「道」を歩んでいたい


そのためには、

命をかけてでも守る「場所(舞台)」

言い方を変えれば、自分の「死に場所」

を見つけることが必要、という訳だ


「場所」が、人の営みを<記憶>する

そして、<記憶>は、「仲間」たちの中で生き続ける

故に、「場所」があり「仲間」がいるかぎり

肉体は滅びても、<魂(soul)>は「生き続ける」のである

なんてことを夢想するワタクシ・・・


幸運にも、僕は30歳を前にして、

そういう「場所」を、「仲間」を見つけることができた

だったら、それらを命がけで守っていくだけのこと


それが自分なりの<恩返し>だと思っているし 実は

それでも、与えているよりも貰っているものの方が

ずっと多い



* * * * *



今更過去の話をぶり返すつもりもないので

詳しくは書かないけれど、

2008年4月、僕は当時勤めていた「作業所」の

所長や同僚、そして障がいのある仲間たちと一緒に

組織を飛び出して(というか夜逃げするようにexodusして)、

彼らと共に立ち上げた新たな法人と事業所で

働き始めた


それまで働いていた組織への愛着もあったし

それまでレクリエーションやクラブ活動などで

交流のあった他の「作業所」で働いていた仲間たちを

後に残していくのは身が引き裂かれるような想いだったけれど、

最も身近なところで苦楽を共にしていた仲間たちの

<未来>を守るためには、そうすることが良いのだと

足りない頭で判断したためだ


そして、それからさらに1年が過ぎた2009年1月

それまで定期的に仲間たちとチラシのポスティングに出かけていた

習志野市や千葉市、八千代市方面の仕事をこなすための拠点として

3市が交わるエリアにある京成線「実籾」駅のロータリー裏に

小さなテナント物件を借りて、僕は初めて自分でゼロから

事業所を作っていくことになる


それが「ぶろっさむ」で、特定非営利活動法人1to1

としての現在へと至る障害福祉サービス事業のはじまり

何名かの仲間たちも付いてきてくれた

(正式には、2009年6月1日、もう1カ所船橋市で

立ち上げた事業所と合わせて、定員20名の就労継続

支援B型事業所「あくあ」としてスタートした。)


嗚呼、見渡す限りの B*L*O*S*S*O*M


一人一人が、咲かせるべき《花》を、その人自身の中に

持っている

それらが《開花》し、あたり一面に咲き誇っている光景


自分たちの《意志》の力により、自分自身が、そして、

地域や社会が、ゆるやかに《変革》されてゆくイメージ


その変化と付き合い続け、最後まで見届けてやるという≪覚悟≫


4月に結婚したばかりの33歳のホーボーマン

青臭くて向こう見ずで、何よりも傲慢だった当時の僕にとって

恐れるものなど何もなかった


「あの日」を迎えるまでは




(text by 武井 剛)







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