1996年、前年の春に大学に入った僕は、理由あって生まれ育ったまちを出て
1月から東京の外れにあるモノレールが停まるまちで一人暮らしをはじめた
80年代の狂騒は既に過ぎ去り、周囲には<郊外>の寂れた風景が広がっていたけれど、
これから20代を迎えようとしていた僕の心はインターネットを通じて<世界>に
接続されようとしていた
そして、ベースボールとビートニクス
海の向こうのイノセンスとフリーダムの国の幻影を追い続けた、僕の"潜水生活"
* * * * *
2001年、「戦後最大の就職氷河期」と呼ばれた季節をどうにか潜り抜け、
前の年に社会に潜り込んだ僕は、幕張の海辺にそびえる35階建てのツインタワー
の中にあるITコールセンターで働いていた
ウィルスやハッカーの攻撃から企業や官公庁を守るためのセキュリティ部門
ITバブルは崩壊していたみたいだけど、業界全体にはまだお金が回っていた
僕は独身で、生活にはゆとりがあり、何故だか性的なパートナーにも恵まれていた
そして、
「こんな地に足の着かない生活をいつまで続けるのだろう?」と不安だった
遠く離れた海の向こうで旅客機が大きなビルに突っ込み、何かが音を立てて崩れていく
そんな映像をうっかり見てしまったのがきっかけだったろうか?
世の中の空気が一気にキナ臭くなっていく
露わになった収奪構造 その上で成り立っていた僕たちの泡のような生活
<世界>は知れば知るほど、想像していたよりもずっと愚かしくて、残酷だった
『もしも世界が100人の村だったら』なんて本が流行ったのもこの頃だったっけ?
21世紀のパール・ハーバー ”show the Flag!” 「友好関係」を理由とした犯罪同盟
オレはアンタらの陣営には死んでもつかないよ だけど・・・
なんて素敵なアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ!
根無し草の自由
僕は孤独で、そして若かった
「自分の労働⇒価値が、どこかの誰かが決めた金銭によって計測されるなんてゴメンだ」
「このトチ狂った世界の中で、せめてマトモだと思えるような生き方をしたい」
「明日死んでも後悔しないように、いま・このときを精一杯生きたい」
「一度限りの自分の≪生≫を、実りあるものにしたい」
「Think Globally, Act Locally」
当時考えていたのは、そんなこと
次第に周りの同僚たちから浮いていく自分 下がる上司からの評価 離れていく「彼女」
仕事をしているフリをしながら、「何もしない自分」に苛立ち続け
罪なき市井の人々がクラスター爆弾の犠牲を被っていたイラク情勢について
悶々と調べ続けては、未だ見ぬ「第三世界」に想いを馳せる日々…
オレはイカレているのか??
でも、世界全体がイカレてるんだから、しかたがないじゃないか・・・
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」
自分の「着地点」はいったいどこにあるのか・・・?
僕は自分なりの<回答(answer)>を迫られていた
* * * * *
2006年、前年の夏から、僕は船橋市にある心身障害者小規模福祉作業所で働いていた
冬のある日アパートに投函された「職員募集 時給800円」のビラを見て、何となく電話
一歩を踏み出すきっかけさえあれば、何でも良かったのかもしれない
あのとき選んだ道がある そして選ばなかった道も
いつかそれらが交わる時は来るのだろうか・・・?
辿り着いたのは、「広い世界のかたすみ」の、風が吹けば飛ばされて
しまうような小さな職場
所長と常勤のパート職員2名、そして障害のある10名の「仲間たち」
息を切らし、額から汗を流しながら行う毎日の労働、そして次々と巻き起こる事件…
いま・ここ、目の前にやるべきことがある
「ちっぽけな自分のこと」で悩まずにいられるのは、何て”楽”なのだろう!
僕は30歳になろうとしていた
時給は900円に上がり、所長からは2年後には自分の作業所を持つよう言われていた
自由は失ってしまったけれど、不器用でひたむきな仲間たちと過ごす日々は充実していた
そして、未来はまだ<夢>の中にあった
(text by 武井 剛)