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執筆者の写真Gさん

僕がここにいる理由 その1

更新日:2023年4月1日


1996年、前年の春に大学に入った僕は、理由あって生まれ育ったまちを出て

1月から東京の外れにあるモノレールが停まるまちで一人暮らしをはじめた

80年代の狂騒は既に過ぎ去り、周囲には<郊外>の寂れた風景が広がっていたけれど、

これから20代を迎えようとしていた僕の心はインターネットを通じて<世界>に

接続されようとしていた

そして、ベースボールとビートニクス

海の向こうのイノセンスとフリーダムの国の幻影を追い続けた、僕の"潜水生活"


* * * * *


2001年、「戦後最大の就職氷河期」と呼ばれた季節をどうにか潜り抜け、

前の年に社会に潜り込んだ僕は、幕張の海辺にそびえる35階建てのツインタワー

の中にあるITコールセンターで働いていた

ウィルスやハッカーの攻撃から企業や官公庁を守るためのセキュリティ部門

ITバブルは崩壊していたみたいだけど、業界全体にはまだお金が回っていた


僕は独身で、生活にはゆとりがあり、何故だか性的なパートナーにも恵まれていた

そして、

「こんな地に足の着かない生活をいつまで続けるのだろう?」と不安だった


遠く離れた海の向こうで旅客機が大きなビルに突っ込み、何かが音を立てて崩れていく

そんな映像をうっかり見てしまったのがきっかけだったろうか?

世の中の空気が一気にキナ臭くなっていく 

露わになった収奪構造 その上で成り立っていた僕たちの泡のような生活

<世界>は知れば知るほど、想像していたよりもずっと愚かしくて、残酷だった

『もしも世界が100人の村だったら』なんて本が流行ったのもこの頃だったっけ?


21世紀のパール・ハーバー ”show the Flag!” 「友好関係」を理由とした犯罪同盟

オレはアンタらの陣営には死んでもつかないよ だけど・・・

なんて素敵なアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ!


根無し草の自由

僕は孤独で、そして若かった


「自分の労働⇒価値が、どこかの誰かが決めた金銭によって計測されるなんてゴメンだ」

「このトチ狂った世界の中で、せめてマトモだと思えるような生き方をしたい」

「明日死んでも後悔しないように、いま・このときを精一杯生きたい」

「一度限りの自分の≪生≫を、実りあるものにしたい」

「Think Globally, Act Locally」


当時考えていたのは、そんなこと


次第に周りの同僚たちから浮いていく自分 下がる上司からの評価 離れていく「彼女」

仕事をしているフリをしながら、「何もしない自分」に苛立ち続け

罪なき市井の人々がクラスター爆弾の犠牲を被っていたイラク情勢について

悶々と調べ続けては、未だ見ぬ「第三世界」に想いを馳せる日々…


オレはイカレているのか??

でも、世界全体がイカレてるんだから、しかたがないじゃないか・・・


「ここがロドスだ、ここで跳べ!」


自分の「着地点」はいったいどこにあるのか・・・?

僕は自分なりの<回答(answer)>を迫られていた


* * * * *


2006年、前年の夏から、僕は船橋市にある心身障害者小規模福祉作業所で働いていた

冬のある日アパートに投函された「職員募集 時給800円」のビラを見て、何となく電話

一歩を踏み出すきっかけさえあれば、何でも良かったのかもしれない


あのとき選んだ道がある そして選ばなかった道も

いつかそれらが交わる時は来るのだろうか・・・?


辿り着いたのは、「広い世界のかたすみ」の、風が吹けば飛ばされて

しまうような小さな職場

所長と常勤のパート職員2名、そして障害のある10名の「仲間たち」

息を切らし、額から汗を流しながら行う毎日の労働、そして次々と巻き起こる事件…


いま・ここ、目の前にやるべきことがある

「ちっぽけな自分のこと」で悩まずにいられるのは、何て”楽”なのだろう!


僕は30歳になろうとしていた

時給は900円に上がり、所長からは2年後には自分の作業所を持つよう言われていた

自由は失ってしまったけれど、不器用でひたむきな仲間たちと過ごす日々は充実していた


そして、未来はまだ<夢>の中にあった



(text by 武井 剛)


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