こんな場所で、こそっとな。
実は昨年夏の終わりにあまりに急な「悲しいお別れ」と、その後で人の心が信じられなくなるような出来事が重なって、気持ちがなかなか前を向けない時期が続いていました。
仕事に「モチベーション」なんてものを持ち込むのはただの言い訳でしかないと常々思っているのだけれど、どこにも光が見えない暗闇の中にいるような時、ただ自分だけが愚か者のように感じてしまう時には、無力さに打ちひしがれてどうしたってそんな気持ちになってしまう。
But, It's all right!
くよくよしたって、何も始まらない。
すべては過ぎ去ったこと。
そして、終わりからまた始まる物語だって、きっとこの世界にはあるはずじゃないか。
ハローダークネス、マイオールドフレンド
ってなもんで、
別に「こんな気持ち」は今に始まったものではない。
そして、かつて10代だった自分と40代になり相応に年をくってしまった現在の自分とで決定的に異なるのは、「社会的な力」をいくらなりかは行使できるようになったということ。もしも自分が「その気」になれば。
そう、「僕は大人になった」のだ。
「大人になった」と言えば、1to1の事業活動も一昨年度(2019年度)で10周年。
昨年2月にはこの10年を支えてくれた仲間たちと「1to1博覧会(ワンパク)」なるイベントを実施したりして、ささやかなお祝いをしたりもしました。
それなりに感慨深いものもあったし、その場に集まってくれた人たち一人一人に対しては、ただ<感謝>しかないのだけれど、あらためて過去の10年を振り返った時、「自分なりにすべてを捧げるつもりで精一杯やってきたつもりだったけれど、これだけのことしかできなかったのか」という思いに囚われたこともまた事実。(同時に、まだ「すべてを出しきってはいなかった」のだ、ということにも気付きました。)
(「努力」しても結果が伴わない時は、「努力」の総量が足りないのか、「努力」の方向性が間違っているのか、あるいは、方向は合っているが手を着ける順番が間違っているのか、そのどれかであると思いたい。決して「努力」をする主体としての自分という存在そのものに<問題>があるのだとは思いたくない。否、そこに<問題>があることなんて初めっから承知の上でのことなのだから・・・。「覚悟」なんてものはとうの昔に決めているのだ。おっと。)
記念イベントは別として(あの時間は、素晴らしい時間でした。本当に。)、日々の仕事の<実践>の中で激しく心を揺さぶられるような経験をすることがめっきり減ってしまったんですよね。
おかしい。何か変だ。どうしてこんなことになってしまったのだろう…そう思っていた最中の昨年夏の終わりの出来事だったのです。
以来、悶々とした時間が流れ、そこに追い打ちをかけるような出来事がいくつか重なったりもした訳ですが、昨年から今年にかけての年末年始を経て、今はそれらのすべてが「とるに足らない」ことなのだと思うようになりました。そして、自分は今だ相も変わらず、その「とるに足らない」現実を生き続けているのだ、と。
「とるに足らない」けれど、「非常に手ごわい」現実。
決して、侮るべからず。
(愛しい人たちはみな、「あちら側」へ旅立っていってしまう。)
だいたいそんな現実に打ちひしがれている自分自身が、何よりも「とるに足らない」。
という訳で(?)結論は、
目の前の現実と真摯に向き合って、しかし決してその「とるに足らなさ」を良しとするのではなく、あくまでも「夢を見続ける」こと。それ自体がもう一つの現実を照らし出すような、とてつもなく「リアルな夢」を。
そして、同じような夢を見続けてくれる人たちを探し当てること。
その夢の実現に手を貸してくれるのが誰なのかを、冷静に見出すこと。
まぁそんなところから始めていく一年にできたら、と思っています。
再び、また再び。
分かりづらくて申し訳ないね(が、別に丁寧に説明する気もないっ!)
何故なら、<実践>とその<結果>のみがただ、身も蓋もない<真実>を語るのだから。